産総研ら,トンボが光環境ごとに光センサを使い分けていることを発見

産業技術総合研究所(産総研)と東京農業大学,総合研究大学院大学らの研究グループは,トンボの色覚に関わる光センサを作り出すオプシン遺伝子が著しく多様であることを発見した(ニュースリリース)。

視覚は非常に重要な感覚であり,基礎から応用まで盛んに研究されている。光は,眼にある光受容細胞で電気信号に変換され,脳で情報処理される。光受容細胞中には「光センサ」として機能するオプシンタンパク質が存在する。このオプシンタンパク質はオプシン遺伝子によって作りだされる。

異なる種類のオプシン遺伝子は,感受性の異なる「光センサ」を作り出す。たとえばヒトは,青色光,緑色光,赤色光に対応した光センサを作り出す3種類のオプシン遺伝子を持つ。そのため,ヒトには赤色から紫色が見えるが紫外線は見えない。一方,ミツバチやショウジョウバエは紫外線に対応したオプシン遺伝子を持つが赤色光に対応したオプシン遺伝子がないため,紫外線が見えるが赤色は見えない。

トンボは多数の小さな目(個眼)が集まってできた複眼を持つ昼行性の昆虫で,アカトンボなど鮮やかな体色を持つ種類が多い。聴覚や嗅覚は退化しており,他の昆虫と比べて視覚への依存度が高い。しかし,トンボの色覚に関わる分子機構は未解明であった。

研究グループは,アカトンボの1種であるアキアカネを用いて,トンボの複眼がどの波長の光によく反応するかを解析した。複眼に電極を刺して解析した結果,背側では主に紫外線(300 nm)から青緑色(500 nm)の短波長の光によく反応するのに対して,腹側では紫外線から赤色(620 nm)までの幅広い波長の光に反応することが分かった。つまりアキアカネでは,複眼の背側と腹側で色覚が異なっている可能性があるという。

アキアカネの成虫や幼虫の頭部で機能している遺伝子を網羅的に解析した結果,20種類ものオプシン遺伝子が同定された。アキアカネは,紫外線タイプを1種類,短波長タイプを5種類,長波長タイプを10種類,非視覚型を4種類持っており,視覚型のオプシンの遺伝子数が他の昆虫と比べて桁違いに多いことが明らかになった。さらに,他のトンボでもオプシン遺伝子が15~33種類と非常に多くなっていることが確認された。

次に,成虫の複眼背側,複眼腹側,単眼周辺と,幼虫頭部に分けてオプシン遺伝子の種類を解析した。その結果,大部分のオプシン遺伝子は,特定の時期や領域だけで働いていることが分かった。例えばアキアカネの個々のオプシン遺伝子は,幼虫と成虫のどちらか一方だけで使われていた。さらに,成虫で使われている大部分の遺伝子は,複眼背側,複眼腹側,単眼周辺のどこか一カ所の領域だけで働いていることが確認された。つまり,トンボでは幼虫と成虫の間のみならず,成虫複眼の背側と腹側の間でも,そこで機能するオプシン遺伝子の種類が全く異なっていた。

トンボの幼虫は水中であまり動かずに生活するのに対して,成虫は陸上を活発に飛びまわる。したがって幼虫は成虫に比べると視覚や色覚への依存性が低いことが予想される。また成虫では,複眼の背側では主に空を背景に物体を認識し,複眼の腹側では主に地表の環境,繁殖相手や餌などを認識する。

このような多様な光環境に適応するため,トンボはオプシン遺伝子を多様化させ,成長過程や複眼領域ごとに使い分けるようになったと考えられるという。すなわち,視覚への依存性の低い幼虫では比較的少数のオプシン遺伝子が使われるのに対し,成虫の複眼では多数のオプシン遺伝子が使われている。しかも同じ成虫複眼でも,空から直接届く短い波長成分の多い光を受容する背側では短波長オプシン遺伝子が多く使われるのに対し,地表の物体からの反射光を受け取る腹側では,長波長オプシン遺伝子が多く使われている。

オプシン遺伝子の種数や組み合わせはトンボの種ごとに異なっていたが,幼虫が砂に潜って生活する種類では,幼虫期に機能する短波長オプシン遺伝子が失われているなど,それぞれの種の生息環境や行動に応じてオプシン遺伝子が進化した可能性が考えられるという。

今回の結果から,トンボでは異なる光環境に合わせて異なるオプシン遺伝子セットを使い分けており,オプシン遺伝子数の著しい増加がその基盤となっていることが分かった。それぞれの環境ごとに別の遺伝子セットを用いる意義についてはさらなる研究が必要であり,研究グループは各遺伝子の特性を解析することで,異なる光環境に対する生物の適応機構の理解が深まると期待している。

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